比較の世の中ではないので

一年前の今は、ICU(集中治療室)に居ました。

常に点滴を繋がれ、綿棒を湿らせたものでしか口を潤せず、身体中の痛みと倦怠感と、時として襲う幻覚や幻聴が、たまらなく苦しかったです。

本人、幻と気づいていないので、随分医療スタッフの方にピントが外れたクレームを入れてしまったことは記憶しています。

永遠に続くと思われた入院が、3週間で終われたのは奇跡です。 Continue reading “比較の世の中ではないので”

まじめに更新しろよ!

という声は全く上がってこないので、毎週更新なんぞダルくてしてられない昨今の気分には大助かりなのです。

最近というかずっと思っていることですが、

 

〝全部全部しなくていいじゃん〟

 

国語算数理科社会英語‥‥全部、、いる??

いらないでしょ。どーしてもしたくなくてセンスもどうやらないみたいだったら、自分にもセンスがありそうなことに時間と労力をかけてやった方が世のため人のためです。

英語なんて特にしなくていいです。英語が必要な仕事に就かなければいいだけ!英語が受験科目で必要な学校に行かなければよいだけ!

「もし外国の人に英語で道を聞かれたら‥‥。」

そこが日本なら、日本語で尋ねてこない外国人の不勉強を攻めればよいだけ!

もっとしたい勉強に時間を割ける世の中にならんもんかな?と思います。

成績は、ずっとは上がりません

成績は下がります。

仕事でも、先月より今月、今月より来月‥‥と、ずーっと上がり続けることって、あるでしょうか?

上がって、下がって‥‥を繰り返して、トータルで上昇傾向にあれば、成功だと思います。

そのくらいの頑張りで、丁度いいです。

そこがまさに、出る!

県立普通科や国立大学一般入試は、まさに今が追い込みの時期です。

ここへ来て、「一体どこを勉強したら最もいいのか?」「やってもやっても達成感が無い。」という悩みはつきものです。

完璧な準備などありません。『ここまでやれば必ず100%大丈夫』という保証つきのものもありません。

人それぞれ、苦手とするところ、気になるところは違います。

筆記入試において〝やり残して気になっていたところ、そしてイマイチ理解していなかったところがやっぱり出た〟というケースが一番心残りとなります。

まずは、心に浮かんだ「ココが(自分は)気になる!」というところを勉強しましょう。

まさに、そこが出ます!

そう信じてください。

自分は、まず大学センター試験前に『自分の書けない漢字』を100個書き上げたプリントを作りました。(←なぐり書きのようなモノ)

試験後、50個に絞りました。

さらに、第一志望の私立大の受験直前に30個に絞り込みました。

‥本番、そのうちの10個が出ました。

そういうことがあります。

極端で、今考えると幼い想いなのですが、『受験の失敗=死』と捉えていました。

そこまで思い込め!真似しろ!

というわけではありません。

〝自分の信じる勉強〟を信じてください。

どれだけ活かしたか、なのです

勉強に飲み込まれてはいけません。勉強は利用するものです。利用されてはいけないのです。

自分を一つの国と考えるなら、〝輸入品〟で国が潰れてもよいものでしょうか。あくまで輸入品は国を豊かにするためのものです。全てを輸入する必要はないのです。取り入れてみて、どうにもしっくりこなければ、そんなものに金を使うより、より良い結果を生むものを受け入れて、そしてそれを加工して輸出することです。

言われるがまま輸入して、何も輸出せず消費するだけの国に発展はありません。

日本は伝統的に加工貿易が得意な国です。ここで生まれ育った私達も、きっとその優れた素質があるはずです。

何を輸入し、何を輸出して発展していくか。

つまり、何を勉強し、どう社会に貢献していくか、です。

勉強は実社会と自分の人生に活かしてこそ価値があります。

一時期だけの優秀さを生涯誇るのは愚かです。

『〇〇高校(進学校)卒だ!』

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で?その後は?

そう、、それから先が大切なのです。進学をゴールとしないように。

 

東大生に聞きました

現役東大生2人に聞きました。

「受験勉強を本格的に始めたのはいつですか?」

Aさん「高2の冬です。」

Bさん「高3の秋です。」

2人とも浪人を経験しています。勉強開始が遅過ぎたのか??

そうとも言えます。

では高1から本格的に受験モードに入れば‥‥‥そのモードを続けられますか??

当塾が一番気を遣って指導しているところ、それは『勉強することをイヤにさせない。』です。

やらなさ過ぎではできるようにはなりません。

しかしやらせ過ぎでは、一時的に成績は上がりますが、〝息切れ〟が受験直前に出たりします。

勉強は一生モノ。学び続けるから、自らの能力の無さに気付いて、他人に謙虚になれます。学びをやめてしまうと、自分の能力の無さが分からないので他人に対して横柄になります。

少し身体をほぐしてから勉強

近ければ来塾は徒歩や自転車がオススメです。

経験から、軽く自分の体を動かした後の方が、学習の〝入り〟がいいです。

車の送迎だと、塾に着くまでゲームをするか、なにか動画を見ながらになりがちです。すると、塾に来てからの立ち上がりが良くないのです(泣)。ボヤーっとして、こちらの話を聞いているのか聞いていないのか分からない‥言うならば〝眠ダルい〟感じ。

勉強は、基本『目・頭・手(指)』といった上半身を主に使いますから、できればそこではない部分‥‥『足』を使うとバランスが良いです。

 

昭和〜平成中頃?までの入試のイメージのままでは‥‥

「推薦はなんか卑怯で裏技的な入試。」

「私立は金があったり、公立に行けなかったりする子が行くところ。」

「中間や期末テストとかでそれなりに頑張って、受験する年になったらバーーッと頑張って、入試本番でいい点が取れたらイイ。」

といった保護者の若い時代の思い出をベースにしたふんわりした意識(からの、子供らの意識形成)を現実に即した良い方向に変えていきたい、と常々思っています。

少子化が進み、各学校は優秀な生徒獲得のため、色々な『アメ』を用意しています。その一つが奨学金です。

貸与型が基本なので、少し品のない言い方をすると『勉強できれば金を貰える』わけです。

これを〝貧乏人の発想〟と捉える人も少々いますが、そのような心根が賤しい人とは早々とソーシャルディスタンスを取るに限ります。

「なんか、あそこの学校に入れば何とかなる。&世間にも恥ずかしくないorすごいと思ってもらえる。」という、10代だったら許される想いを、いい歳をした大人が抱え続けるのもどうかと思います。

「自分は10代の時の勉強があまりできていない」または「自分は昨今の受験情勢を明確に理解していない。」と大人の側が素直に認めるところから、子供へのアドバイスが始まると考えます。