とある検査で病院に。
病院のイメージは、ハッキリ言って幼少期〜若年期にかけて、あまり良いものではありません。
高圧的な医師、物言いの悪い看護婦&受付、澱んだ目つきでじっとこちらの一挙一動を見据える他の(高齢の)患者群‥‥‥。
そんなトラウマがあるおかげで、病院を訪ねることになると、余計な不愉快想像をして勝手に気を滅入らせてしまう厄介な性格‥‥。
しかし、いざ出陣してみると、受付からマスク美人の若い女性が何とも優しげに対応してくれたのを皮切りに、医師から技士から職員まで老若男女問わず、なんとも丁寧で優しい対応なこと!
「あ、、どうぞこちらに。」
「楽になさってくださいね。」
「おだいじにどうぞ‥。」
自分は昔と今で、人に対する態度は変えていない(多分)ので、これは明らかに世の中が優しくなったと見るべき?でしょう。
もっと言えば、他人を尊重する態度を取り続けた結果、それを返されるようになった‥かしら?
そう考えると、成績向上&運気向上が叶った生徒は、皆基本的な礼儀ができており、学習及びテストの取り組みに丁寧さがあったか、と。
どこか〝持ってない〟生徒(肝心な時にケガをしたり体調を崩したり、何がしかのトラブルが起きる)は、学力向上の意思はありながら、どこか自分中心のきらいがあったように思います。
自分の人生は自分のものなので、自分の幸福を追求するのは正しいことです。
しかし、そのために他人の幸福を幾らかでも奪ってよいものでしょうか?
よく有るケースですが、授業が面倒になってきたので自分の特性(診断)を盾に取り教室から抜け出して自らの快適さを手に入れた時、その彼彼女には、周囲の同じくサボって立ち歩きたかったが我慢した人の気持ちは、頭の中にあったでしょうか?
「特性なんだからしょうがないじゃないか!」
「善悪の判断がしづらいんだからやむを得ない。」
それは分かります。が、〝外を裸で歩いちゃいけない〟ということは分かっているはずです。
子供の将来が本当に心配なら、泣き叫んでも、場合によっては手を出してでも、他人から恥ずかしいと見られる行為は断じて許さない気構えが大人の側には必要です。
〝あなたはあなたのペースで‥‥〟を尊重し過ぎて、どんどん周囲からの評価を落としてしまうことが、果たしてその子にとって幸せなのか‥‥?
結局「自分が、自分は、」と、主語を自分にばかりして生き、誰の気持ちをも軽んじたことで、自らが軽んじられてしまう。
受験に関して言えば、志望校がもはや射程内にあるのならいざ知らず、まだまだ射程圏外にあるのにも関わらず他人に対する態度が尊大な生徒は、必ず不合格になっています。
挨拶をしない、宿題をしない、持参すべきものを持参しない、問われても面倒そうに「‥別に‥」といったふうな単語でしか答えない、答案の字が(意図的に)雑←それを見て採点をする人間のことをまるで考えていない。もっと言えば、己を低く見られるかもしれないといった恐れが発想にない。
‥‥これで、自らの大願が成就できるとは思えません。
やることは簡単です。
・挨拶をする。(会釈でも可)
・できるだけ笑顔をつくる
・夢想せず相手の話を聞く
・綺麗に、の前に丁寧に字を書く
自分だけが尊重されるべきだと思わないことです。自分がされてヤキモキするような態度は取らないことです。
結局、甘やかせることが一番、その子にとって酷いと思います。(虐待は論外です。語るに値しません。)
愛し、愛される人になって欲しいです。当塾に通ってくれる生徒には特に切に、それを望みます。