GAME OF DEATH

ゲームするなとは言いません。やればよいのです。依存症とまでは言わないまでも、その他の社会的なことが後回しになるまでやり込むのがダメだと言っているだけです。

ゲームをやらないと毎日がもたない人は、『自分は日々ゲームをすることで何を得たいのか』を自分の言葉で理解することが必要だと思います。ゲームを実生活に活かす術が自分なりに見つかれば、尚のこと良いでしょう。

ただ楽しさを味わうため、短期の達成感を得たいがために、日々暇さえあれば時間の許す限りやって、それを理由に次の日の体調が優れなかったり、学習時間の確保が厳しくなったり、意欲が削がれたり‥すると、否定されるのは明白です。

自分はファミコン第一世代です。小学校卒業まではゲームをよくしました。

中学になってゲームより〝モテたい〟が関心の主役になり、やめました。(さらに言うと中1の時、ゲーセンで対戦型格闘ゲームで小学生に完敗したことにより自信を喪失しまして‥。)

大学の時、一時ゲーム熱が復活し、繁華街のゲームセンターで格闘ゲームにハマり込み、散財しました。

「自分はヤバくハマっている‥。」という自覚はあるのにやめられない、という恐ろしさを痛感し、「二度とゲームはしない。」と決めました。

自分は熱くなりやすく、依存し易い性格です。そういう人間がゲームをやればどうなるか‥。

今のゲームがどのようなものか、子供らから聞く、またはネットニュースなどで目にするくらいしか分かりませんが、充分に依存しやすい仕組みが出来上がっていることに感心すると同時に戦慄も覚えます。

『タブレットなどを使用して子供の特性に合わせて勉強できるシステムを大人が作れ!』

という主張はままありますが、一理あります。

しかし、「自分の嗜好、特性に合わないものは一切やらない。」という態度は現実的でしょうか?

現状、義務教育が存在し、まだまだ教材は〝紙〟が主流です。

そのシステムにおいて、どれだけ様々な工夫と努力をして、評価され得るだけの魅力的で実用的な自己を確立できるか、が試されています。

体制や常識に異を唱える前に、現状でどれだけ頑張りを見せられたか、自己の甘さを隠すために環境の不備を持ち出そうとしていないか、を自問する必要があると思います。

自分も、「もっともっと学習が楽しく、思わず自分で手に取ってしまうような教材ができればいいのに!」と思う時がたびたびあります。

そんな時『じゃあ自分が作れ!』という天の声がすぐさま聞こえてきますので、即謝罪し、現状でいかに工夫できるか、を探します。

勉強そのものは面白いと思うのです。しかし、面白いもの、誘惑は世の中に溢れています。

繰り返しますが、「ゲームをするな!」とは言いません。しかし、ゲームに日常の時間と関心と体力の殆どを使うことが、自分にとって良いことか?考えて欲しいのです。友達とのかけがえの無いコミュニケーションツールだ!というのも分かりますが。

それ〝だけ〟を日々やって、その世界で何かプロフェッショナルを目指すわけでもないのに、実生活でどんどん自分の可能性を先細らせていることは、良いことでしょうか?

『結果が出てみなければ分からない!』というのなら、自分の人生を使って証明してください。

こちらは、〝毎日ゲームを長時間して集中力も気力も失っているけれども、勉強できるようになりたい〟若者の相手はしません。こちらの指導力の無駄です。

『ゲームをやってから文句を言え。』という主張も緩く却下しますが、自分の仕事や、やりたいことの邪魔にならない範囲で受け入れます。