【感じがいい、は武器であり、才能であり、常識であり、礼儀である】

昨日、他塾の先生プレゼンツの入試説明会にzoom参加しました。

そこで、昨今強く感じており、その会で示された十数年のデータを見てさらに思いを深くしたことは‥‥

『(塾での態度&面接での印象が)感じの良い生徒は合格する』

です。

そのデータの中には、合計点数で志望校の合格基準に達していない生徒が合格していた例がいくつも示されていました。

内申点もそこまで芳しくない‥とすれば、本番の面接点(印象点)が高かったことが分かります。

そして、面接点の高い子の塾での授業態度は、淡々とするべきことをこなし、大人に対する態度もわきまえたものであったのです。

社会がいかに非接触になろうが、どこまでも「〝人〟対〝人〟」に変わりはありません。

学校も組織である以上、集団の和を乱す生徒は、例え学業優秀であろうが、欲しくないのです。

面接する側の大人をナメてはいけません。ものの数秒でその受験生を見抜きます。

いくら本番で態度を取り繕っても、普段の行いや心の内は目つき・姿勢・仕草・物言いにあらわれます。

そんなものが見抜けるわけがない、と高を括る、人や社会(ひいては自分)をナメている人は、合格して欲しくありません。

その場や接する人によって態度をガラリと変える人はよくいますが、(外ヅラの良い人も含む)、人間として浅ましいので、出来るだけ個人的に近づけたくないです。

こちらも人間ですので、素直に指示に従ってくれる生徒や挨拶や会釈を必ずする生徒には、意図せず熱を入れて余計に指導してしまいます。

反対に、しんどい態度をあからさまに出す生徒や、指示に従ってくれない生徒、宿題や返却されたテストをワザと持参しなかったり誤魔化したりする生徒、決して入退室の挨拶会釈をしない生徒は、どこか冷めた、杓子定規な指導をしてしまい、個人的に反省はするのですが、「これを伝えてあげよう!」と思っても気が湧いてこないのです。

そういった生徒は高望みさえしなければ希望進路に進めますが、第一志望に合格することはほぼ無く、たいして高くない倍率の学校にも落ちたりします。

自分が同じ態度を取られたら、どうでしょうか?

他人とはにこやかに話すのに、自分と接する時にはテンションを落としてダルそうにつまらなそうに、文章でなく単語でしゃべる相手に、好感を持つでしょうか?

(「さぁ‥‥?」「はぁ‥まぁ‥。」「‥ん?、分からん‥。」など)

当ブログでも再三述べていること

〝『愛される人になってください』〟

愛される、とは媚を売る、ゴマをする、ことではありません。

他人と自分を尊重し、周囲を尊重した(場に応じた)態度が取れることです。

よく幼児に見られますが、学校・塾現場で自分の優秀さを証明できないと踏むと、周囲にワザと(本能的?)に合わさず、自分の興味関心のみを周囲に理解させようとする子は、早めに頭を打たせて、自分の身の丈に合わせた振る舞いをさせた方が成功すると思います。

できないことは単に『できないこと』であり、悪いことは単に『悪いこと』なのです。個性でも特性でもありません。

それを分からせてやるのが本当の〝愛〟であり、〝優しさ〟だと思うのです。