好きな先生に第一志望大合格を喜んでもらえなかった話

1996年2月14日、担任の先生から『お前の120%の力を出しても合格できない』と言われた関西大学法学部法律学科に合格しました。

歓喜の母、同じく達成感に震える自分。

「早く先生に報告しなきゃ!」

喜んで欲しいから、『おお、すごい、やったな!』などと言って欲しいから、勇んで学校へ報告に行きました。

「先生、第一志望大学に合格しました。なので、国立大の受験を辞めたいです。」と。

国立大の受験も勧められていましたが、全ての力を使う覚悟で関西大の受験に臨み、(絞り込んだ50個の〝書けない漢字リスト〟の内10個が本番で出るという奇跡も果たしたので、)これ以上受験勉強を続ける気力は残っていなかったのです。

先生は憮然とした表情で横を向いたまま、『‥まぐれで受かった私立大に合格したからといって調子に乗って、国立大の受験を辞めると言うのは理解できん。』と。周りでやり取りを聞いている他の学年団の先生も押し黙っていました。

ショックで言葉が出ませんでした。

 

秋口の事、懇談において志望大を伝え、調査書の作成をお願いしたところ、『俺も学生の時に関関同立を受けて受からなかった。だから俺の現役のときの成績以下のお前が受けて受かる道理はない。120%の力を出しても受からない。お前浪人する気はあるのか?』と言われ、自分の模試の成績からして真っ当な指摘だったため言い返せず、ただ「がんばりますので、お願いします‥。」とだけ伝えてその場を去りました。その日の夕方、自宅に先生から『言い過ぎた‥すまない‥。』と謝罪の電話。

そういうところも好きな先生だったので、合格発表の報告を急いだのは『見返してやった』という気持ちよりも、只々、喜んで欲しかった、努力を認めて欲しかったという想いだけだったわけで。

合格の知らせを母と手を取り合って喜んだ約2時間後、母に泣き伏せる姿を見られるはめになるとは‥‥喜んで欲しい人に喜んでもらえなかった‥自分の伝え方の順番も悪かったのかもしれないけれど、18歳の高校3年生が自分なりに精一杯の努力をして、受験のテーマに〝粉骨砕身〟を挙げて勝ち取った合格を、高1と高3の計2年間お世話になった先生に喜んで欲しかったですね。

その先生もどうやらこの3月で定年退職との事。ちょうど30年前のこの一件などまるで覚えてはいないでしょう。自分のことも覚えてはいないでしょう。ただ自分は覚えています。ただとっくに許しています。先生もまだ当時30歳?初のお子さんが産まれるというタイミングで、高校3年生1クラス40人の担任をするのはさぞかしプレッシャーだったでしょう。なのにあれだけ詳細に調べあげた手書きの自分の合格可能性リスト(センター試験後の懇談にて)、頭が下がる思いです。先生のおかげで古文漢文の指導ができています。先生には遠く遠く及ばない知識で偉そうに教えておりますが、今でもふと先生の言われた文法の解説授業でのセリフが頭に浮かびます。