知識欲をもっと

やはり嬉しいのは、生徒の成績が上がったとき。もっと言えば成績が上がることによって自分に自信がつき、物事を前向きに捉えられるようになり、「思っていても、やらなければ、苦しくても、妥協せずに立ち向かわなければ成し遂げられない。」という真っ当なことに気付いてくれたときです。

反対に、悲しいのは成績が伸びなかったとき。これも言うならば、結局こちら(指導者)を信じてくれず、指示した宿題にも誤魔化しが多く、結局何をしたら一番ラクで効果が出るの?」という類の〝無いものねだり〟な勉強法を求めて時間だけが過ぎていったときです。

例えば、英語力を上げるには(日本国内の学校で行われる英語の筆記試験で高得点を取るには)、単語力が不可欠です。

では単語力を上げるにはどうすればいいのか?

書いて覚えるか、見て覚えるか、大きく分けてこの2つです。

やってみて、自分に合う方を選んで継続することです。その際に生じる細かい疑問(「何でこの綴りでこの発音?」など)は是非尋ねて欲しいと思います。できる限りのこちらの知識を伝えて、知識欲が増すよう努めます!

『学習意欲』とはよく言われますが、自分は『知識欲』を高めて、得た知識を活かして世の中を渡っていって欲しいと思います。

人間の悩み苦しみの98%は解決法があり、それは古人が書き残した様々な書籍の中に書かれているのだとか。

「古文・漢文なんて意味のない教科をダラダラ学校で教えずに、社会保険や税金のことを学校で教えろ。」という意見が最近ネットを中心に出ましたが、上記の〝解決法〟が古文や漢文に記されているとすれば、学ぶ価値は大いにあります。

実際、主に高校の古文・漢文の問題集には1ページで簡潔に人の生き様(『むかしむかしあるところにこういうヤツがいて、こんなことが起こって、こうしてみたところ、こうなった。』)が記されており、バッドエンドだったりハッピーエンドだったり‥‥。

そういった諸々の話を自分の中に蓄えていけば、困難に出会った際にも人としての道を外さずに乗り越えていけるのではないか、と思います。

また、現代語訳で読み通すより、古語そのもので読んだ方が、吸収が違います。古語の方が、現代語より簡潔に複雑な心情や状況を言い表すのに長けている例がいくつもあります。よって、文法や単語を覚えることもある程度必要なのです。

やった勉強は役に立ちます。もっと言えば、立たせて下さい。生き方が大切です。何を学んだか、よりも、学びにどう向き合ったか、です。