極意の一つ

ただ単に、「大切だから覚えろ。将来困るぞ。」では、具体性を欠きます。

では「テストに出るからやれ。」はどうでしょうか?

これも、具体的ではありますが、そのテストにどれほどの価値を子供達が感じているか、によって説得力は変わってきます。

目の前のテストをなんやかんやいい点数が出るように頑張ってたら受験生になってて、さらにあれやこれや対策問題なら何なりやってたら、合格した‥‥というのがよくあるケースですね。

コレ、大人になってもずーーーっとやってる人、多いですね。それでいいならいいのです。

ただ、もう少し体力バカでも馬鹿正直でもないので、要領良く生きていきたいなぁ‥という思いを、若者も持っているはずですし、『俺様は若い頃ものすごく努力した!だからお前もやれ!』的な大人に引いている少年少女もずーーっと昭和からいるワケでして‥。

かくいう自分も、生まれつきさほど体力もないですし、真面目にやればやるほど疲れて寝込んでしまっていたので、どうすればもっと余力を残しながら若い時期を満足な結果を出しながら過ごせたかなぁ‥‥とずっと考えて、試行錯誤した結果が、今の学習指導なのです。

自分自身の経験から、「その勉強をしてどうなるの?」という疑問に、大人はロクに向き合ってくれなかった記憶があります。

だから自分は、「この単元はココに役立つ。近い将来でいうと、〇〇年生でまたやる。」ということを必ず伝えます。

一つ、ココがこだわっているところです。

ただ、同業者に当塾の指導法を聞かれて

「先を見せて、我々(指導者or学校)に何のメリットがあるのですか?」

と、ワケの分からないコメントを返されたこともあります。ただこれは珍しいことでもなく、まだまだ「初見殺ししたり、苦労をさせてやることが教育で、大人への階段だ。」と思っている指導者や大人は多いので、1人でも多くの若者がそういった人達に潰されずに逞しく生き抜いて欲しいと願っているのです。