5月9日。田中俊裕先生が倒れて3日目です。
お父さんがいない生活3日目!
子ども達との約束は
【日常を送る!】
日常を送るのだから、小学校と幼稚園にはもちろん行きます!
朝6時に起きて、子ども達と洗濯物を干す。
長女は、花に水をあげる。次女は、門をあけて新聞をとってきてくれました。
日々の日常を過ごしながら、帰りを待ちます。
6日の朝、俊裕先生が淹れてくれた珈琲以来、口にしていなかった珈琲。
自分で淹れてみた。
私の淹れた珈琲は普通。普通に飲める感じ。
ちっとも美味しくないの。
一番、好きな食べ物で飲み物は
「貴方の淹れてくれた珈琲」だから、、退院したら淹れてね。と願っていました。
姉妹が小学校に行く。
長男が、幼稚園に行こうと声をかけたら・・・
泣き出した。
いっぱいいっぱい泣き出した。
長男「お父さんがいい!!お父さんと一緒がいい!!!!お父さんと一緒がいぃ!!!!」
と・・・。
朝から、2人で一緒に泣きました。
私「お父さん一緒が良いね。お父さん一緒が良いね!そうだね!お母さんも一緒だよ!一緒がいいよ!
お父さん強いから!お父さん強いから!必ず帰ってくるって信じよう!辛いよね。一緒がいいよね!信じて待とう!信じよう!
お父さん強いでしょ?」
長男「うん」
私「強いから。。絶対帰ってくるからって信じて待とう!辛かったら泣けばいいから!お母さんも一緒に泣くからね」
と、話していたら長男も落ち着きました。
長男が幼稚園に行ってから、私は区役所で各種書類をもらって岡大へと向かうのでした。
5月9日月曜日。主治医も決まって、これからの経過の説明を受けました。
この時に初めて知ったこと。
6.7.8日の3日間は、
【心臓がほとんど動いていない】という事実。
主治医「(画像を指しながら)こう、心臓動いてますよね。今日の画像はこちら。 昨日はこちらです。僕たちから言わせると、この動きは、止まっているといっていい状態でした。今日から、動き出しました」
と・・・・・・・・・・
知らなくてよかった・・・・・知っていたら心配して心配していて、子ども達に
「お父さんは絶対に大丈夫だよ!」
という声掛けが出来ていたかは自信がありません。
この3日間の定時連絡で教えてもらえてなくて本当に良かったです。