ゲームの時間、動画視聴の時間はやはり少ないに越したことはありません。
塾の送迎中(特に送り)車内でゲームもしくは動画視聴している生徒は、やはり伸び悩みます。
道中が長ければ長いほど、塾に着いてもボンヤリとして不機嫌で、こちらの指示も〝半聞き〟の状態であることが多いです。
本年より入退室の『挨拶』をうるさく言っていますが、社会的なマナーを身につけて欲しい理由はもちろん、気持ちの切り替えを行って欲しい、という理由もあります。
私事ですが、学生の頃通っていたボクシングジムは、「こんにちは!」「お願いします!」「ありがとうございました!」「失礼します!」という挨拶を大きな声で行わねばならないという道場訓がありました。
めんどうだ、、と思う気持ちは正直ありましたが、昔のボクシングジムは総じて〝プロ養成機関〟としての側面しかないものが多く、練習も大変に厳しく檄も飛び、ジム生どうし談笑でもしようものなら「他所でやれ!!」という喝が‥‥およそ現在よくあるカジュアルなフィットネスボクシングジムは一線を画す場でした。
強くなりたい一心で入門したまではよいのですが、毎日通うとなるとツライ日も‥‥。「やるぞ!」と下校後、気合を入れてジムへの道を進んで行くうちに、帰りたい気持ちがふつふつと‥。そしてジムに着いてしまうともう後戻りは出来ないので、「これから体力の限界をかけた厳しい練習をするぞ!俺は負けない!」という気持ちを鼓舞するために
「お願いしまぁス!!」と入り口で挨拶‥‥これは自己都合の通用する世界を遮断し、完全に自己鍛錬の場に入る〝儀式〟といえるものでもありました。
格好だけで中身のないものはダメです。声だけデカいというのは違います。
そこまでの決意で練習場に入って練習を始めても、挫けたい気持ちがスタミナがなくなるにつれ出て来るのですが、そこを乗り越えてやり遂げた後の達成感は、見てくれだけのラクに手に入るそれとはレベルが違います。
だからこそ生活に活きる、いや、活かさないと味わった辛さが無駄になる、そうはさせるか!という意地や執念が、これまで人生の局面に立った際、自分を強く押し上げてくれたように思います。
学業面で言えば、ボクシングをやらなければ第一志望の大学の合格はきっと無かったと思います。
担任の先生からも「お前の120%の力を出しても無理。」と言われ、模試のデータもそれを示していた志望校に、『粉骨砕身』をテーマに挙げて挑む心を、何が点火してくれたか?
虚弱体質で身体障害持ちの自分が、ボクシングの練習を何度もやり切った自信以外にありません。
学業成績が伸びない理由に、ゲームや夜更かしや動画視聴を挙げるのは構いません。自分が人生をかけて帳尻を合わせれば良いだけの話です。
しかし出来得れば年若いうちに、「この場で自分を磨くぞ!」という想いで来てもらえたら、塾の時間を精一杯活用して、勉強すること、またその教科自体を楽しいと感じてもらって、自宅でも学校でも自信を深めてくれたら嬉しいな‥と思う次第です。