ヤル気は適当でいいです

「向いてない方が、向いてるんですよ。」

文系か理系か、の選択。

公立か私立か、のそれ。

果ては、『自分はどの道に進むのが良いのか』といったものまで、色々な〝選択の相談〟を受けることがしばしばです。

そういう若者には、上記の言葉を伝えて、迷わせています(ダメじゃん!)

実際、自分の人生だけでなく何人もの人の生き様を振り返って、『自分の〝したい〟想いだけで仕事その他がうまく行くとは限らない。』ことを痛感しています。

想いがあればあるほど、それにのめり込んで周囲も自分も見失って(本人は「すこぶる冷静である。」と自覚させようとする、または言い張る)、身近な人との関係を破綻させたり、自分自身も破滅させてしまう‥ということが、人間社会のいたるところで長年、起き続けているのではないか?と思います。

教師、上司、先輩、その他指導する立場にある人間は、責任感と想いから、ついつい『寝食を忘れて一所に懸命になれ!』というニュアンスのことを指示してしまいがちです。

それに対して、指導される側がシラけた態度を取ったり、自分の生活のルーティンを守ったりするのは、自己防衛の観点からすると、至極まっとうな態度であるとも思うのです、

芸能やスポーツの世界ならいざ知らず、大概のことは自己犠牲で成り立たせて良いものではないはずです。

自分の人生をより充実させたい、良いものにしたい、という想いで仕事や進路は選択されるものなので、その道の先輩達がこぞって、「この道を選んだからにはこうあるべし!」とばかりに生活とのバランスを無視した要求を強いれば、後進など育ちません。

その道の先輩達は、たまたま時代に助けられたからこそ、その道で生き残っている可能性は否定できないし、より少子化で価値観も変化した世の中では、指示に従うゆえの目上からの寵愛こそ受けられるものの、その人を取り巻く全て(家族や若い世代、ひいては社会)に悪影響しかない、と思われるアドバイスや指示は、決然と拒否した方が良い気がします。

想いが強くない方が、間違った熱い想いや社会通念を受け取らず、ほどよくシラけた(冷静な)心構えでコトに当たれると思います。

自分もこの教育の世界に居座る時間がある程度長くなってしまいましたが、もともとは生活のため(奨学金を返すため)に飛び込んだ世界であり、「いつ辞めてもいいかな。」ぐらいの気持ちでやってきたのが本音です。

しかし、支持を受けた、需要がある、評価を受ける、という事実が廃業できない理由です。(もちろん、だからこそのやりがいがあるわけですが‥。)

『迷わず行けよ。行けば分かるさ。』ではやや無責任で、「迷いながらとりあえず行ってごらんなさい。行ってみて続けてみれば分かります。」と自分は言いますし、「行ってみてダメだと分かって辞めてしまっても、ある程度の元気と、そこそこの基礎学力があれば何とでもなります。」と続けます。

それで不思議と、良くなっていく若者は多いです。