強い子になって欲しいし、長生きする猫であって欲しい。

猫と暮らしています。基本、猫用の檻に入れて、1日数度、檻の扉を開けて母家の一部空間を自由に動き回れるようにしています。

しかし、動物にも好奇心はありますから僅かなスキをついて、母家の様々な扉をかいくぐり、軒下に潜り込んで帰ってこないこともあります😅

こんな時、ヘタに軒下の側にエサや水を置いて気を遣ってやらないことが大切だと思います。

「軒下から母家(人間の居住空間)に勝手に行き来してよい。」と猫に認識されれば、猫にとっては天国でしょう。しかし、軒下のあらゆるゴミホコリ、形容し難い汚物を身体にまぶしたまま、寝室その他に自由に入り込まれては、人間の清潔な暮らしが成り立ちません。

各々の家の構造や考えはあるでしょうが、我が家には猫アレルギーの家族もいます。猫には極力、月に一度の美容院で清潔さを保って暮らして欲しい事情があります。

猫アレルギーの家族がいるのになぜ猫を飼うのか?

『飼い手がつかなければ保健所送りが数分後に決まっている』猫を見殺しにはできなかったからです。

さて、猫その他ペットについて、不必要に寛容であると感じる昨今、子供の躾についても、どうであろうか?と自分自身思いを巡らすことがあります。

『与えないと怒るから‥。』とスマホを常時渡して大人しくさせる。

同じく『好き嫌いが多いから‥。』と子供の好きなものだけを与える。

『じっとしないから‥。』と公共の場での自由な行動を許す。

‥‥その結果、学校その他の場所で浮いてしまう、少し嫌なことがあれば引きこもってしまう、親にだけは強く当たる、そして何らかの障害名が付き、周囲のサポートや暖かい目でその子を見ることを要求される‥。

一概には言えないかもしれませんが(逃げ口上)、与えるべき不自由や我慢すべき嫌なことを、可愛さから遠ざけてしまっては、結局その子のみならず、その子を取り巻く周囲の人も不幸にしてしまうと思います。

解決の一つは、甘やかしてやりたくても涙を飲んで突き放す。

それで取り返しのつかない大事にはなりません。根負けして我儘を許せば、前述の通り、誰も幸せにしない。

真に可愛いから、自分は猫にも子供にも厳しく妥協なく接する覚悟です。冗談も言わない堅物な態度を取り続けるという意味ではありません。