心停止(心室細動)からの退院(18)

5月9日。田中俊裕先生が倒れて3日目です。

お父さんがいない生活3日目!

子ども達との約束は

【日常を送る!】

日常を送るのだから、小学校と幼稚園にはもちろん行きます!

朝6時に起きて、子ども達と洗濯物を干す。

長女は、花に水をあげる。次女は、門をあけて新聞をとってきてくれました。

日々の日常を過ごしながら、帰りを待ちます。

6日の朝、俊裕先生が淹れてくれた珈琲以来、口にしていなかった珈琲。

自分で淹れてみた。

私の淹れた珈琲は普通。普通に飲める感じ。

ちっとも美味しくないの。

一番、好きな食べ物で飲み物は

「貴方の淹れてくれた珈琲」だから、、退院したら淹れてね。と願っていました。

姉妹が小学校に行く。

長男が、幼稚園に行こうと声をかけたら・・・

泣き出した。

いっぱいいっぱい泣き出した。

長男「お父さんがいい!!お父さんと一緒がいい!!!!お父さんと一緒がいぃ!!!!」

と・・・。

朝から、2人で一緒に泣きました。

私「お父さん一緒が良いね。お父さん一緒が良いね!そうだね!お母さんも一緒だよ!一緒がいいよ!

お父さん強いから!お父さん強いから!必ず帰ってくるって信じよう!辛いよね。一緒がいいよね!信じて待とう!信じよう!

お父さん強いでしょ?」

長男「うん」

私「強いから。。絶対帰ってくるからって信じて待とう!辛かったら泣けばいいから!お母さんも一緒に泣くからね」

と、話していたら長男も落ち着きました。

 

長男が幼稚園に行ってから、私は区役所で各種書類をもらって岡大へと向かうのでした。

5月9日月曜日。主治医も決まって、これからの経過の説明を受けました。

この時に初めて知ったこと。

6.7.8日の3日間は、

【心臓がほとんど動いていない】という事実。

主治医「(画像を指しながら)こう、心臓動いてますよね。今日の画像はこちら。 昨日はこちらです。僕たちから言わせると、この動きは、止まっているといっていい状態でした。今日から、動き出しました」

と・・・・・・・・・・

知らなくてよかった・・・・・知っていたら心配して心配していて、子ども達に

「お父さんは絶対に大丈夫だよ!」

という声掛けが出来ていたかは自信がありません。

この3日間の定時連絡で教えてもらえてなくて本当に良かったです。