何でこんな勉強しなきゃいけないの?

若い頃の思い出話を少々。

中学生の頃はあまり感じなかったのですが、地元を少し離れ、いわゆる進学校に入学して間もなく、勉強に疑問を感じてしまいました。

その最たる原因は、『予習の完全性』を求める学校の指導方針と、『習っていない内容が大量に出る。』という課題のあり方でした。

課題に関しては数学で顕著だったのですが、その他英語では単語や文法、国語(現代文・古文・漢文)は読み方も分からなければ解説を読んでも分からない!!(しかも当時の解答解説は不親切で詳しく書かれていないものが多かった。)

自宅から高校までが13㌔程。若い高校生の脚力でかなり必死に自転車を走らせても1時間(山⛰🏔2つほど越える関係上)。

朝から夕方まで授業を受けてその道をまた帰って来ると‥結構疲れて眠いのです🥱💤

日々の勉強でキツかったのは英語の予習です。月曜から土曜まで、英語の授業が無い日は無かったし、その全てが予習を要するもの。主に〝新出単語の意味調べ〟と〝英文和訳〟ですが、電子辞書なんて洒落たものはまだ普及していないし、スマホやタブレットの和訳アプリを用いれば容易に英文の意味が取れる時代が来るのはまだまだ先‥‥。

地道に辞書をめくって、意味を調べてノートに書いて、教科書の英文を全てノート見開きの左側に写し取って、右ページに対訳を自分で頭を捻って書き込んでいく‥‥‥気がつくと眠ってしまい、ハッと目を覚ますと深夜2時頃、とりあえず風呂に入って、やりきれない思いを胸に床について、6時半頃起床して、身支度をして登校する‥ということが数えきれないほどありました。

英語の授業では、ランダムに生徒が次々指名されて教師の支持するところまで英文を音読し、その後対訳を披露する、という展開で教科書を進めていくのですが、もちろん、スラスラ読めて訳せる生徒ばかりではないので、読めない、訳せない生徒が出てきます。

そこで教師の側がタイミングよく生徒の理解度に合わせて指示を与えて授業を進めてくれればストレスはないのですが、殆どの教師は生徒が不勉強と見るや不機嫌を露わにし、一つ二つ嫌味じみた説教を浴びせた後、結論的に「予習を完璧にしろ!」と言うのが常でした。

『その生徒のできる範囲で予習をこなせ。』という意味での発言では断じてなかったと今でも思います。

生徒が皆完璧に英文を訳せれば‥‥一体先生は何をしてくださる存在なのでしょう??

当時はただそんな教師を嫌いになるだけで、ハッキリと心の中で指導に対する不満を言葉にできなかったのが辛かったです。

こういう、〝言葉にならない想いを言葉にする〟ためにも勉強は必要なのですが、そういったことを親身になって言ってくれる存在が残念ながら自分にはいませんでした。

(つづく)