中学公民の重要性

昨日は衆議院選挙🗳

投票率は、高くはならないよな‥‥と思うこと自体、なんだか自分や国を肯定していない気がしてモヤっとするのですが、せっかくの権利、行使しないわけにはいかないのです。

3で、公民にイマイチ面白みを感じない、とボヤく生徒には、以下のようによく語ります。

「選挙行かないのは、一つに中学『公民』の勉強が不足しているんです。

よく分からないから、『選挙行っても意味ない。』とか言うんですよ。

勉強してない大人が、今のところ仕事で行き詰まってなくて(行き詰まっているの気がついてなくて)、『学生の時勉強しても意味ない。』って言うのと一緒の心理でしょうか。

選挙は権利で、義務ではないので、投票しないから何か罰があるわけではありません。最終的には、行く行かないを決めるのは自分です。自己決定権は憲法でも保障されています。」

我が家夫婦が(どんなに乗り気でない選挙でも)必ず投票に行くのは、

・普通選挙を手にするまでの日本人の過酷な歴史が実在すること。

・我々国民が政治に意思表示ができるのが、投票行為のみであること。

2つが大きな理由です。

残念ながら?勝負が見え過ぎている小選挙区の投票などは面白くありません。

投票日の気分によっては、「‥‥行きたくないな‥。」と思うことも。しかし、競馬や競輪ではないので、死票になったところでそんなにイヤか??とも思うわけです。

最近夫婦で(特に私が)問題視しているのは、『大人も子供もあまりに〝自分が自分が‥〟となり過ぎていないか?』ということです。

見て欲しい時に見て欲しくて、見て欲しくない時には放っといて欲しい‥それをしてくれないと拗ねて単独行動を取る‥‥といったことは子供はままありますが、周りは全て自分のためにあるわけではありません。

皆々、したくないこと、しんどいことを飲み込んで、したいことの実現に向けて生きています。

自分のことも怪しいのに、他人の揺れ動く心の隅まで見抜けるわけがありません。それを理解してくれないといって自棄になったり心を大切に守ったりすること(我儘を通すこと)を、容認する社会ではダメだと思います。

特に子供のそういう勝手気まままな行動を、優しく(残酷に)見守ると、一人前のめんどくさい人間の出来上がりです。

10代の勉強は役に立ちます。大人になって少々の『生き方』『稼ぎ方』の勉強をしても、『国数英社理』の理解、もっと言えばそれらにいかに若いうちに取り組んだかが、大人になっての物事を捉える基盤になります。

『選挙行っても意味ない。』と言う前に、「自分はキチンと中学公民を勉強したか?」と自問することが肝心かと思います。