昔の普通科英語授業

『予習を完璧にしろ!』

高校時代、特に英語の授業で繰り返し言われた言葉。

教科書の、1度の授業で進むであろうページの本文和訳&単語調べを自分でやってくるのが予習。

こちらは、「できれば英語なんぞやりたくない。」というか、「他にもやる教科あるし、部活やら何やらで体力や気力使うこと多い。」10代です。

ある時は1ページも進まない、ある時は45ぺージ進む、授業中ランダムに指名されて音読させられて和訳を発表して、できなけりゃ「予習を完璧にしてこい!お前何やってんだ!」と叱責される(&教師の指示があるまで着席を許されない)英語の授業ばっかりに全力は使えません。

‥‥あのー、予習段階で完璧に和訳できるんなら、授業いらないですね。頑張って辞書引いて考えても、訳せない部分はあるんです。

生徒の「‥‥分かりません。」に対してもっと応えて欲しかったです。こっちの不努力ばかり責められた覚えがあります。イヤミを吐かれ、蔑みの目で見られながら解説されても頭に入って来なかったです。

現代ではそのような授業の仕方は絶滅していると思うのですが、もしまだ『予習和訳至上主義』の授業が存在しているなら、スマホ等を利用して、該当教科書の和訳を検索すれば殆どは引っ掛かるはずです。ぜひそれを有効活用してください。全ての和訳を信用するのは危険ですが、大まかな内容は掴めます。予習はあくまでも予習です。授業でパワー最大になるように気力体力を整えることが本質です。