理想は足もとから

昨今ではオンラインでできる仕事がどんどん増えて、それにつれてオンラインでの勉強会も盛んです。接触はもちろん、移動時間の無さからも歓迎すべきことだと思います。

しかし、個人的に気になることが1つ。

これはオンラインでの家内の働きと、巷でここ数年流行りの『掃除・片付け・時間管理』系のメソッドを提唱するサークルへの家内の参加状況から感じたことです。

メソッドを学んだり勉強会に参加したりする前に、今床に落ちている雑多物(紙くず、食べカス、衣類、玩具)、放置してどのくらいでしょうか?

特に小さいお子様がいらっしゃるご家庭では厳しいですが、そのマインド——『床に物が放置されていても特に気にならない』or『後でまとめてスイッチが入った段階でやろう』マインドが、自身が学ぶメソッドを実践しにくくしている元凶だと、個人的に思います。

例えば、何かものを買えばついてくる梱包材(特に衣類などのタグ)を、どれほど速やかに処分ができているか(ゴミ箱ゴミ袋に入れられているか)。

手で握って、(腰をかがめることも有り)数メートル歩いて、ポイ——これだけの動作です。

まとめてあとで‥‥な方、学生時代、溜まった課題をまとめて、スイッチが入ったら一気に!と思って放置し、後に死ぬほど苦しい思いを味わった、その割に知識が定着していない虚しさ‥を味わっていませんか??

付け焼き刃の溜め込み知識に持続性が無いのは当たり前なのですが、分かっちゃいるけどやめられない、のが人間ですね。

特に家庭をお持ちの女性の方、そして家事に育児に仕事に奮闘する女性の方に、男性の1人として述べたいことは、男性も妻との落ち着いた時間をもっと持ちたいと思っているということです。特に何をするとか、何かをお互いに話すのではなく、何かを飲んだり食べたり、こちらのテキトーな戯言をテキトーに聞くような流すような感じで同じ空間に居て欲しいだけなのです。特に休日のステイホームの時、または平日の仕事終わりの夜など。

つい〝夫婦の時間〟というとセクシャルなものを想像してしまう人がいますし、男性は常にセクシャルな時間だけをパートナーと過ごしたいと思っている‥とか、偏見甚だしい!

仕事のステップアップが、何かしらをお母さんに色々聞いて欲しい子供の寂しさを増大させて、良いものでしょうか?(一時的なものなら良いと思います。)

パートナーとの関係が〝それによって〟壊れてしまっても、はたしてそれを『成功』といえるでしょうか?(家庭の温もりを特に手に入れたくなかった人はこの限りではありません。)

さて、最近数十年ネットで流行りの〝ストローマン論法〟を使うと、私の発言は保守的女性賛美になります。

読解力の無さ(国語力不足)とプライベートの寂しさゆえの解釈だと思います。

大人になって学ぶのは素晴らしいことですし、そのために人との繋がりを持ち、互いに高めあっていくのは意義あることだと思います。

しかし、学ぶ(集う)ことが目的となり、足もとを見ずに高みばかり目指そうとしていないでしょうか?カリスマ主催者の都合に合わせることが『意識の高さ』と勘違いしていませんか?

成功のカギは、まさに足下(足元)にあると思います。