自分でやる気になること

今月から主に私立の学校において来年度の入試説明会が始まります。

単なる学校イメージから来る進路指導をしないために、また、よりよく生徒に進路選択をして欲しいがために、多少面倒な気持ちはあっても(←失礼💦)、今のその学校を知るには今勤務している先生方に会うことなのです。

『情報は足で稼げ』とは、大学時代に身に付いた基本姿勢であり、足で掴んだ情報こそ真に信用できるものです。ネットや紙媒体はそれには到底及びません。

『足で掴む』は、言葉にすると抽象的ですが、紛れもない具体的感覚です。

さて、学校も世の中も、昨今(昔から?)は〝自家発電〟ばかりを要求してくる気がします。

「授業なくても自分でやれ。」「真剣に宿題に向き合え。分からないなりに精一杯やれ。それがやる気があるということだ。将来の自分を考えているということだ。やれる奴もいる。やれない奴は、自分に負けている。」

特に今春はコロナウィルスによる休校のため、上記のような〝自家発電〟がかなり若者に求められました。

年配者(または教育する立場にいる人)はあまり自分の若い時に思い出補正をかけて、偉そうに若者に言わないほうがいいと個人的に思うのです。

不幸になりたい若者なんていないのです。1ヵ月後の自分、または1年後の自分は、今よりももっと勉強できなくていろいろ不幸になっていればいい、なんて願っている若者は、よっぽど何かあったわけで、普通はその逆を願うはずです。

具体的にどうしたら良いのかみんな試行錯誤して生きています。何かにすがって迷いなく生きていきたいとも思っています。

しかし、生きていればさまざまな出来事で自分の気持ちが揺れてしまう。決意しても宣言しても、日々の由無し事に心が動いて初心を忘れてしまう。やれば良いことをした方が良いのは、おぼろげながら、時にはっきりと分かっているのだけれど、これと言う理由もなくする気にならなくてできない。分かっちゃいるけどやめられないことがやめられない。

うんざりするほど長い時間を、何をして良いか悩んで何をするでもなく過ごすより、少々めまいがするほど忙しくてしんどいけれど、やることがはっきりしていて時間が足りないと感じる方が幸せか?と思います。

ハードな仕事月間になりますが、結局、生徒指導は根比べです。教える側が先に参ってはダメなのです。